松永和夫とは?

puram(プラム)コーチのストーリー、8人目は松永和夫コーチです。
松永コーチは東京、千葉、神奈川で活動されている、実業団でも競技経験のある元トップスイマーです。現在は自身もマスターズスイマーとして大会にも参加しており、なんと日本記録/世界記録保持者です。また指導経験も豊富でこれまでに10年以上、小学生から大人、ご年配の方までの指導に携わっており、
指導方法も一人ひとりに合った指導を心がけているとの事でした。今回はそんな松永コーチの水泳との出会いや指導者になるまでのストーリー、将来の夢などを聞いてみたいと思います。

コーチ紹介

松永和夫(マツナガカズオ)
1985年10月生まれ 福岡県出身
九州産業大学付属九州高等学校~東海大学~JFE
福岡県出身の九州男児。人としての人柄も良く、コミュニケーション能力の高い彼。今は自身もマスターズスイマーとして泳ぎながら指導を行なっており、色んな知識や経験も豊富。彼の指導を受ける方からの評判も良く、指導も的確との事。フリーランスとして人気のある松永コーチの今後の活躍にも期待です。

インタビュー

インタビュー日(2017-8-25)
今回は大学に入ってからの事を聞かせてください。
分かりました。

大学に入ってからは寮生活ですか?
そうですね。強制的に寮生活で、基本的にはみんな寮生活です。

そうなんですね。ではトレーニングもずっと大学で?
そうです、はじめてウェイトトレーニングってものに出会って、あれは衝撃的でしたね。(笑)

ガラッと環境も変わったんですね。
環境も変わって、練習も。。。でも水中練習は高校の根性練習に比べると「あれ?大した事ないな」って思いました。ただ、1つ衝撃だったのは高校までは練習強い人が試合も強いと思ってたら全然そうじゃなくて、練習弱い先輩でも試合では強いって人が居て、練習弱くても速くなれるんだと思いました。

▶大学に入って、トレーニングも変わったと思うんですが気をつけていた事はありますか?
なんかトレーニングの内容はバランスボールとかスタビライゼーションとかウェイトトレーニングとかやったこと無いトレーニングばかりだったので、そこは積極的に取り組んでいましたね。で、ウェイトトレーニングする時も先輩とパートナー組むんですけど、はじめは自分はめっちゃ楽しい先輩(楽な先輩)とパートナーを組んでいたんですよ。そしたら違う先輩から「お前、あいつと回ってたら強くならないぞ!俺と一緒に回れ」って言われて、そこからはその厳しい先輩と一緒にウェイトトレーニングも回ってましたね。その時にはじめて”つるむ先輩”も考えないといけないなと思いました。

▶なるほど。現役時代はスランプに陥ったことあるんですか?
伸び悩んだのは…僕、大学1年生の時にヘルニアになったんです。当時、自分は200m自由形を専門としてやっていたんですけど、ヘルニアになったことで合宿に参加できなくなって、治療に専念してました。その時の自分の目標は日本選手権に出るって事が目標で…東海大学の中でも日本選手権に出る組と出ない組の練習が違っていて、出る組がめっちゃカッコ良かったんですよ。なので日本選手権には絶対に出たいと思ってやってました。なのでスランプと言うよりかは、入学してから泳げない時期があったのが辛かったですね。でも次の年の1月には日本選手権も切れたので良かったです。そこからはトントン拍子にベストタイムも伸びていって、大学3年生まで順調でした。

大学4年生はダメだったんですか?
それがまたつらい時期で、4年生の時に大学のキャプテンをやっていたんですけどなかなか結果が出なくて、インカレ(日本学生選手権)も結果が出なくて、シードも落としてしまって、挙句の果てには日本選手権の制限タイムも切れて無くて。卒業後には実業団への進路も決まっていたのに、日本選手権のタイムが切れていないというのが凄いプレッシャーで、必死に色んな大会に出てやっと切ったのを覚えてます。当時はやめたいと思うくらい結果が出なかったですね。。。

大学を卒業して実業団に行かれたと思うのですが、その後はどのくらい現役を続けたんですか?
2シーズンですね。なので2008年の4月に入社をして、2009年の12月に退社をしました。実業団選手権にも2回出場しました。

引退を決意したキッカケは何だったんですか?
高速水着が流行ったじゃないですか?レーザーレーサーとか。あの水着を着て僕は苦しくてタイムが遅くなったんですよ。でも速くなった人はめっちゃ速くなって、その時に水着で勝負が決まるならもう辞めようと思って引退を決めました。お金もかかるし、自分の限界も感じていたので。引退した後に水着の規制も入りましたけどね。

そこはもう未練無かったんですか?
そうですね、もう未練は無かったです。

引退してから水泳の無い生活に戻ると思うんですけど、心境の変化は無かったんですか?
そうですね、心境の変化というよりは2年目の実業団選手権が終わってから辞める準備が大変でした。僕が実業団に入れたのも色んな人のサポートがあったので、まずは筋を通すためにもサポートをしてくれた人達に挨拶に行きました。大学の監督、水泳部の監督、当時の上司。。。みんなにはボロカスに怒られましたけど。実業団は3年は続けるっていう暗黙のルールがあってそんな中、2年で辞めると言い出したので尚更です。ただ、最終的には僕の気持ちも汲み取ってくれて退社することが出来ました。なので、引退を決めてからの半年間が大変でしたね。

▶水泳を辞めた後、セカンドキャリアで困ったことは何かありますか?
困ったこと…すごく困りましたね。辞めた後、反動で2~3ヶ月仕事しなかったんですよ。はじめての一人暮らしも始めて、色んな物を揃えて…結局、社会の仕組みが分かっていなくて健康保険とか市民税とか色んな税金関係は僕の中で無いものだと思ってて、辞めた2~3ヶ月後に納付書がいっぱい来て「ヤベ、払えねぇ!」ってなりました。そこで働かないとダメだと思って、人生で初めてアルバイトの面接に行きました、その時も時給の良いパチンコ屋さんに行ったんですけど、面接の時に「パチンコ屋で働いた経験あるの?目押し出来るの?」って言われて「経験ありません、目押しって何ですか?」って言ったら余裕で落ちてしまって…そんな経験もありますね。(笑)そしたらその時にたまたま後輩がフィットネスクラブでバイトをしていて、「業務委託っていう仕事がありますよ」って紹介をしてくれたのが、今自分がやっている仕事の始まりですね。(フリーの水泳インストラクター)

スタッフの意見

高校から大学へのトレーニングは意外にもすぐに順応した松永コーチ。ヘルニアというケガを負いながらも何とか結果を出せたのは、しっかりと明確な目標があったからだと感じました。インタビューをしていて感じたのは、全ての動機が”誰々に勝ちたい”と言うよりも“〇〇になりたい”だったんだなと思いました。また、今回のインタビューでも出てきた”高速水着“。松永コーチの場合はそれが引退を決めるキッカケにもなったみたいですね。まだまだ高速水着で競技生活を左右された人は沢山居るんだろうなと感じました。引退してからのセカンドキャリアもかなりリアルな話で、それこそ困っている元アスリートは沢山居ると思います。まだまだアスリートのセカンドキャリア問題を解決するためにはやることが沢山ありますね。
さて、次回は松永コーチが実際に今は何をやっているのか?今後やっていきたいことは何か?などを聞いていきたいと思います。

 

こんな松永コーチのレッスンに興味のある方はこちらから彼のプロフィールを見ることができます。
【puram】松永和夫コーチ
https://puram.jp/coach-profiles/5

 

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