藤崎和也とは?

puram(プラム)コーチのストーリー、11人目は藤崎和也コーチです。
藤崎コーチは競泳出身で東京をメインに活動されており、大手スイミングスクールでも指導経験がある元競泳のアスリートです。現役時代には日本選手権に何度も出場しており、国体では群馬県の代表として入賞経験も持っています。一見、話しづらそうに見えても話し出すと色々と親切に話してくれる誠実な藤崎コーチ、スイミングスクールで5年間働いた後に自分の目標や夢に向かって独立をされました。今はまだ独立されて間もないのですが、これからの活躍にも期待のコーチです。
今回はそんな藤崎コーチの幼少期から高校時代や大学時代、今に至るまでのストーリーを聞いてみたいと思います。

コーチ紹介

藤崎和也(フジサキカズヤ)
1990年3月生まれ 群馬県出身
館林高等学校~日本大学~セントラルスポーツ~独立
高校時代から文武両道に励み、常に将来を見ながら進路を決めてきた彼。大学も日本大学に進学をし、特殊な形で水泳部に入部。しかし、そこからの彼の努力は周りの同級生も認めるほどで、めきめきと実力をつけていく。そんな努力も実って大学2年では日本学生選手権でもB決勝に残る結果を残した。目標に向かって努力を惜しまない、真面目で誠実な彼の今後の活躍にも期待。

インタビュー

インタビュー日(2017-11-19)
▼前回は幼少期の頃について聞かせて頂いたのですが、今回は選手コースに上がってからの事を聞かせてください。
はい、分かりました。

▼実際、小学校3年の終わりから選手コースに上がったと思うのですが、その当時はどんなトレーニングを行なっていましたか?
基本的には25mの練習メニューが多かったですね。やっぱりまだ入った時には50mを泳ぐのがやっとくらいだったので、はじめは25×16本とかを休み休みやっていました。そこから慣れてきたら50mのメニューとかも増やしてもらった感じです。後は基本的な所で蹴伸びの姿勢をやったりだとか、飛び込みの練習をやったりだとかですね。飛び込みもその時がはじめてだったので最初はずっと腹打ち、腹打ちでお腹が真っ赤になっていました。(笑)なのではじめの2~3ヶ月で基礎みたいなのは出来てきた感じです。

▼小学校の時は何か大会とかは出場していたんですか?
そうですね、大会には色々出場していました。それで小学校5年生の時にはじめてJO(全国大会)の制限を切ることが出来ました。あと自分の誕生日が3月30日なので、春のJO(3月28日前後)とかも一区分下のグループとかで出場出来ていたので結構有利でしたね。

▼そうなんですね。では小学校5年生の春のJOが初めての全国大会だったんですね。
そうですね。

▼その当時一番思い出に残っている大会とかありますか?
そうですね、小学校5年の1月の大会ですね。年末にスイミングクラブで泊まり込みの合宿があって、その時から結構調子が良かったんです。それでコーチにも「年始の大会が楽しみだね」って言われてて…実際に蓋をあけてみたらその大会で一気にJOの標準記録も3種目切ることが出来て。それがやっぱり一番嬉しくて思い出に残ってますね。初めて全国大会に出る切符を手にした瞬間だったので。

▼一気に3種目は凄いですね!その後、中学校ではどんなトレーニングをしていたのですか?
中学に上がったあとは週に8回くらいで朝練とかも入れながら、メインはスイミングでトレーニングをしていました。練習がない日とかは軽く学校の部活動に参加して…という感じで、時間がある時に覗く感じです。

▼中学の時にも全国大会とかに出場されていたのですか?
中学3年生で初めて全国中学に400mと200mの個人メドレーで出場しました。で、その当時10人決勝に残れるシステムだったのですが、400mで予選が7番残りで決勝9番で入賞を逃しました。8人決勝だったら無事に泳ぎきれば入賞で賞状も貰えたのですが、0.17秒差とかで9番になってしまい賞状も何も貰えなかった思い出があります。

▼それは悔しいですね…、その後高校はどちらの高校に進学されたんですか?
高校は群馬の地元の高校で、家から近いところに進学をしました。館林高校という男子高校なんですけど、文武両道で勉強の方にも力を入れているし、逆にスポーツにも力を入れてる高校でした。レスリング部とかも有名でインターハイでも連覇をしていたみたいです。なのでレスリングの中では結構有名な高校だったと思います。水泳部はその当時で過去に一回、一人インターハイに行ったことがあるだけのレベルだったので、そこで少しでも名前を残せればな…と言う感じでした。
後、高校を選んだ理由としては大学進学とかを考えた時にスポーツも出来るし、勉強もちゃんと学べる等全てを考えた時に地元の高校が良いなと思って館林高校に決めました。

▼なるほど。高校時のトレーニングもスイミングで行なってたのですか?
そうですね、中学と一緒で部活に出れる時には顔を出して、帰ってからスイミングのトレーニングに行く感じでした。帰ってからも1時間くらい時間があったので、出来ることはやっておこうと思って部活にも参加してました。

▼高校の時はどんなトレーニングを行なっていましたか?
高校生に上がってからようやくウェイトトレーニングを取り入れるようになって、最初は週に1回で負荷に身体を慣らしていく感じと、水中ではフィン(足ひれ)とかパドル(手にはめる板状の道具)を使ってより高負荷のトレーニングを入れてパワーをつけていました。元々筋力はあったのですが身体が細くて、ガッシリした体格では無かったのでコーチと話し合って大学に上がっても勝負の出来る身体を作っていました。なので体づくり等も含めたトレーニングが中心でしたね。特に専門種目もバタフライだったので。

▼高校からバタフライに転向したんですか?
一応、中学の頃は個人メドレーをやりつつ、その中でもバタフライが得意だったので200mバタフライに出場したりとか…得種目の中ではバタフライを専門にやってました。高校に進学してからは平泳ぎがネックになってきて、個人メドレーでは勝負するのが厳しいということでバタフライにシフトしていった感じですね。

▼そうなんですね。高校時代の実績とかはどんな感じだったのですか?
そうですね、高校1年でスランプというか…ちょっと勉強の方でも思ってた以上についていけない教科とかもあって、クラスで下から2番目とかで「これは留年かな?」とか勉強の方でも大変で上手く行かなくて、水泳の方でも思うような結果が残せなかったりで、両方のダメージがキツかったですね。。。そういう辛抱の時期が1~2年間くらいは続いて、ようやく3年の最後の年でインターハイにも200mバタフライで出場できました。ただ、結果は散々で全国で勝負できるようなレベルでは無かったです。なので高校時代は良い結果と言うのは全く無かったですね。

▼なるほど、文武両道は思いのほか大変だった感じですか?
そうですね、はじめは思ってた以上にキツかったです。

スタッフの意見

藤崎コーチが選手コースに上がってから高校時代までの話を聞かせて頂きました。初めての全国大会ではいきなり3種目で出場という輝かしいデビューを果たしたのですが、その後の全国中学では0.17秒差で入賞を逃すという悔しい思いもしたとのこと。小/中学生の小さい頃から嬉しい思いも悔しい思いも何度も繰り返し行えるのはスポーツがもたらすメリットの1つでもあると思います。よくスポーツ選手はメンタルが強い人が多いと言いますが、そのような嬉しい思いも悲しい思いも何度も何度も繰り返しているからかもしれませんね。また、高校では文武両道にチャレンジした姿勢も素晴らしいなと感じました。次回は更にメンタルが鍛えられていく大学時代についても詳しくお話を聞かせて頂きたいと思います。

 

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【puram】藤崎和也コーチ
https://puram.jp/coach-profiles/21