川岸直生とは?

puram(プラム)コーチのストーリー、12人目は川岸直生コーチです。
川岸コーチは競泳出身で東京をメインに大手フィットネスクラブでも活動をしながら、今はフリートレーナーとして小学生から高齢者の方まで、初心者からトップアスリートまでのコンディショニングやフィジカルトレーニングも指導されております。また自身も大学4年生まで競泳選手として活躍されており、北海道選手権優勝や北海道短水路新記録更新等の結果も残されております。引退後は選手を支えるサポーターの道を選び、専門学校へと進学し鍼や灸、あん摩マッサージ指圧などの資格も取得されております。今回はそんな川岸コーチの幼少期から高校時代や大学時代、今に至るまでのストーリーを聞いてみたいと思います。

コーチ紹介

川岸直生(カワギシタダオ)
1986年5月生まれ 北海道出身
立命館慶祥高等学校~東海大学~専門学校~独立
本格的に水泳選手としてのキャリアを積み始めたのは中学生の頃という比較的に遅い水泳人生をスタートした彼ですが、持ち前の学習能力や努力を積み重ね、中学2年で初の全国大会に出場。選手としては日本のトップに行けなかった彼ですが、リオ五輪まで金藤理絵選手のトレーナーとして活躍し金メダル獲得、世界一に大きく貢献をした。指導者としての彼の今後の活躍には目が離せません。

インタビュー

インタビュー日(2017-12-16)
▼前回は幼少期でしたが、ここからは選手コースに上がってからの事を聞かせてください。
はい。

▼選手コースに上がったのが遅かったみたいですが、小学校6年生頃から本格的に選手コースでトレーニングを始めた感じですか?
そうですね、ただ初めは自分の泳力も全然分からなかったので小学校低学年くらいの子たちに混じって一緒に練習をしていました。まずはそこで、どのくらいのレベルなのかを確かめられていたんだと思います。

▼なるほど。では比較的、選手コースに上がったのが遅かったんですね。
そうですね、遅いですね。多分、本当に初めて試合に出たのが中学校1年生くらいだったと思います。

▼そうなんですね、あんまり覚えてないかもしれないのですが、その当時ってどんなトレーニングをされていたんですか?
いや、でもめちゃくちゃキツかった思い出はありますね。多分、それまでは1時間で1,000mも泳いでなかったと思うんですよね。でも、選手コースに上がってからは1,000とかじゃ無くて本格的なメニューとか、バタフライ25m×80本とかそんなメニューもやっていたので、はじめは「なんだここは!?」みたいな感じでしたね(笑)

▼確かに一気に増えましたね(笑)そこから中学1年生で初めて大会に出て、中学時代の実績はどんな感じだったんですか?
そうですね…中学1年生で初めて大会に出て、種目もS1(専門)が決まっていたわけでもないので、自分の種目を探すじゃないですけど、コーチ方も手探りで「お前これ出てみろ、あれ出てみろ」みたいな感じでした。それで、結局そんなに何も自分にハマらなくて、、、当時、中学の同級生に種田恵(後の北京五輪の平泳ぎ日本代表選手)が居たんですけど、種田に「平泳ぎでレース出てみれば?」と言われて「え~」とか言いながらコーチに相談をして大会に出たのがキッカケで、それが一番イトマンの全国大会みたいな記録に近かったんですよね。それから平泳ぎが専門種目になりましたね。

▼へぇ~じゃ川岸さんの専門種目を決めたの種田さんなんですね。(笑)
そうですそうです、本当に(笑)それからが早くて、その後中学3年くらいの時には北海道で3番くらいになってましたね。

▼凄いですね!その当時、中学で一番思い出に残ってる大会とかはありますか?
そうですね、だから一番最初の全国大会はイトマン招待(イトマンの全国大会)だったと思うので、それの標準記録を切った大会は一番思い出に残ってますね。なんかパイナップルが貰えるんですよ!

▼パイナップル!?(笑)
はい、パイナップル。(笑)なんか標準記録でISIって言うのがあるんですけど、それを切るとパイナップルが貰えて、みんなその標準記録を切った人たちがパイナップルを持ってコース台の所で「標準記録を切ったよ~」って出来る恒例行事みたいなのがあって、、、だからそのパイナップルが欲しくて頑張ってました。なので、初めてその標準記録を切った時にはパイナップルを持ってコーチ方も一緒になって喜んで頂けたのは一番思い出に残ってますね。

▼その当時のコーチはどんなコーチだったんですか?
教えてもらっていたコーチはもうイトマンを辞めてしまったんですけど、吉田コーチって言うコーチで、その上に斉藤コーチと言う北海道でもかなり有名なコーチが居て、そのコーチがヘッドコーチみたいな感じでしたね。

▼なるほど、では指導者の方にも恵まれていたんですね。
そうですね、だからその中だとチームメイトのみんなも速かったですね。JO(ジュニアの全国大会)でも4冠とかしてる選手とかが居て、JOとかに行くと総合優勝とかも狙えるようなチームでした。なので良い環境に居たかなとは思いますね。

▼じゃ、周りの環境にもつられて川岸さんの基準値みたいなのも上がってたんですね。
いや、もう必死でした(笑)ついて行くのにも。やっぱり選手として練習を始めるのが凄く遅かったので、もう体力のキャパシティが他の選手と全然違うんですよね。だから本当に毎日必死に泳いでいました。

▼なるほど。その後中学から高校に進学されたのは推薦とかだったんですか?
いえ、もうそういうのでは無くて、たまたま中学校も地元の中学校だったんですけど学力が高い学校で、そこで進学校に行くという選択肢があって、、、その当時は高校でも水泳をずっと続けようと思ってなかったので自分の行ける学校にしようということで、立命館の付属校に入った感じです。

▼その後、高校でも水泳は続けられたんですか?
はい、続けてました。なのでトレーニングは毎日スイミングで行なっていました。学校に行って、終わったらスイミングに行っての繰り返しでしたね。ただ、夏とかは朝練があって4時半とかから練習して、7時くらいに終わって学校に行って、また終わったら午後練があってみたいな…なので皆そうですけど、親の助けなしには続けてこれなかったんでは無いかなと思いますね。

▼凄いですね。。。その当時、思い出に残ってる大会とかはありますか?
そうですね、高校の時にイトマン招待以外の全国大会に初めて出たので、それもまた思い出深いかなと思いますね。インターハイとJOは高校2年生から出場していました。

▼やっぱり中学と高校のトレーニングは違いましたか?
高校からなんか「積極的にウェイトトレーニングをやりなさい」ってコーチに言われて、そこからウェイトトレーニングはやり始めた感じはありますね。

▼なるほど。では高校から身体も大きくなっていったんですね。
そうですね。

スタッフの意見

選手としてのキャリアを歩むのが遅かった川岸コーチ。しかし、練習環境には恵まれており指導者をはじめ、チームメイトに感化される場面も沢山あったみたいです。やはり、スポーツやビジネスでもそうですが周りの環境がその後の人生を左右すると言っても過言では無いですよね。また、中学1年で自分の専門種目が決まり、中学3年の頃には北海道でも3番に入っていた所などは、純粋に努力を続けられたんだなと感じました。高校時代の練習スケジュールにも驚かされましたね。朝の4時半からトレーニングを開始して、その後に学校…また進学校に通われていた川岸コーチは勉強も大変だったのでは無いかなと思います。そんな環境でもひたすら水泳と向き合ってきた川岸コーチ、次は大学に進学されたお話を聞いてみたいと思います。

 

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【puram】川岸直生
コーチ
https://puram.jp/coach-profiles/13